ヴォクス・ポエティカ
CDリリース記念リサイタル
『テオルボと描く肖像 a portrait with the theorbo』
2021年5月28日(金)
東京オペラシティリサイタルホール
(初台駅直通 東京オペラシティ地下1階)
19:00開演 18:30 開場
全席自由 前売 4,500円/学生 2,000円/当日 5,000円
特別インタビュー全文掲載
無料ライブ配信決定!
2021年5月28日(金)19時配信開始
*有観客*前売券も好評販売中
ヴォクス・ポエティカよりご挨拶
特別インタビュー
デュオ《ヴォクス・ポエティカ》の
バックステージへようこそ
緻密に練り上げられ
完成された
演奏とプレゼンテーション
二人のバックグラウンドや
誕生ストーリー
2021年4月 聞き手:
角田圭子(ダウランド アンド カンパニイ)
2014年に留学先のスイス・バーゼルで結成されたこのデュオは、2015年、佐藤裕希恵さんの国際古楽コンクール(山梨)第1位入賞によって日本でも一気に注目が高まりました。2017年に日本に拠点を移してからも、リサイタルの他、「フェルメール展タイアップ」のコンサートとCD、「ほぼ日の学校」出演など、他ジャンルとの交流にも力を入れ、古楽のプログラムの面白さを多くの人に伝えています。このデュオは一生をかけて取り組む大切なものと語る佐藤裕希恵さんと瀧井レオナルドさんに、古楽との出会いと、デュオとしての活動についてお話を伺いました。
1)ミュージカルに明け暮れた日々からバロックへ(佐藤裕希恵)
|芸大に入って「クラシック」に出会った
-----先日(4月)、ムジカーザでの《ヴォクス・ポエティカ》の「シェイクスピアと音楽」のコンサートでは、演技を取り入れた佐藤さんの演奏がとても印象的でした。東京芸大に入学される前、高校の頃からミュージカルで活動しておられたとか
佐藤:もともと声楽を始めたきっかけ自体がミュージカルだったので、芸大の声楽科に入った時にはオペラの知識はあまりなく、入学してからオペラや歌曲のようないわゆる“クラシック”の作品を勉強しました。同時に学内外のミュージカル団体での舞台活動ばかりしていて、あの時の舞台経験は今も私の表現を生み出す大切な基盤になっています。
(写真1)ミュージカル時代 大学4年
-----大学ではまず「クラシック」との出会いがあった! 「古楽」との出会いは
佐藤:学部で勉強している間、自分の声にはどんなものが合っているのかを模索している内に、自然とヘンデルやヴィヴァルディのようなイタリアの後期バロック音楽を多く演奏するようになりました。思えば学部の入試もヘンデルのアリアを歌ったので、恩師は私の声と古楽の相性を早くから見出してくださっていたのかもしれません。
ピリオド楽器を使った演奏のCDも聴くようになり、今まで自分が聴いてきたどのタイプの音楽とも違う音色や、躍動感あふれるバロック音楽に魅了されていき…。
-----大学を卒業して修士課程では古楽コースを選択
佐藤:声楽科を卒業するとき、歌手として、表現者として、もっと自分の引き出しを増やしたいと思い、古楽を本格的に勉強しようと古楽科修士課程へ進みました。古楽を勉強し始めてから聴いた古楽演奏のジュリオ・カッチーニの作品は、声楽家が誰しも学ぶ『イタリア歌曲集』のロマン派的な編曲と随分異なっていて、衝撃を受けたのをよく覚えています。その衝撃は、そのまま私の古楽科修士課程での論文のテーマにもインスピレーションを与えました。
|スイス留学への興味をかきたてたのは知らない音楽への好奇心
-----バーゼルのスコラ・カントルムの古楽コースへの留学のきっかけは
佐藤:いつか留学してみたいなぁ、という漠然とした思いを抱いていたことはありましたが、実は当初、留学をする予定はありませんでした。大学院へ進学後も学外ではミュージカルや芝居に明け暮れる毎日だったのですが、ある時バーゼルで教鞭をとっていたゲルト・テュルク氏(注)が招聘教授として芸大の古楽科へ来られました。3ヶ月間素晴らしい指導を受ける機会に恵まれ、この先生ともっと古楽を学んでみたいと、スイスへの留学準備を開始しました。
(注:ゲルト・テュルク=テノール歌手。バロックオペラ、オラトリオ、カンタータ、教会音楽など幅広い分野で活躍)
-----テュルクさんに出会うまではまだミュージカルが興味の中心だったと。今思うと、何に動かされて古楽に興味をもったのでしょう
佐藤:好奇心、だと思います。
今まで自分の知らなかった世界に出会って、もっと知りたい!と突き進んでいったらスイスにいました。
古楽は楽譜に書かれていない“余白”が演奏者に大きく委ねられているので、そこをどう描くのかが楽しくて。楽器編成の可能性だったり、即興性だったり…。
(写真2)スコラでは別科で中世鍵盤も学んだ
-----当時大好きだった演奏家、目指した演奏家は
佐藤:今は中世やルネサンスの作品もよく演奏しますが、古楽を始めた当初はバロック、特にオーケストラを伴うヘンデルの声楽作品が好きで、マグダレナ・コジェナー(メゾソプラノ)のCDを聴かずに眠る日はありませんでした。
あのCDで指揮をしていたアンドレア・マルコンとはスイスで何度も一緒に歌わせてもらって、マルコン指揮、コジェナー主演のオペラ(バーゼル劇場)での共演の機会にも恵まれました。ミュージカルや舞台は今でも大好きで、私という人間が現代において古楽を演奏するとき、演劇的なバックグラウンドは自然と表現の中に共存しているんだと思います。
(写真3)留学した年、F.カッチーニのオペラに出演(2012)©︎ Susanna Drescher
-----やっぱり留学してよかった、と思うことはどんなことでしょう
佐藤:留学して得たものは計り知れませんが、歌手として様々な現場で仕事をすることができたことは本当に幸運だったと思います。小さなアンサンブルからオーケストラまで、教会や音楽ホール、劇場で。
隣接する他の国々へ、小さなスーツケースと楽譜を持って演奏旅行に飛び回る毎日が好きでした。あの経験に、音楽家としての感性やプロ意識など色々なものを育ててもらったように思います。
また西洋音楽を演奏する上で、ヨーロッパ各地の土地の空気や建物、人の性格に触れることができたことは大きな財産となりました。その国の作品は、やはりその国の人の性格、風土、文化、歴史が生み出したものだからです。
(写真4)留学2年目インスブルックにて(2012)
-----《ヴォクス・ポエティカ》のパートナー、瀧井レオナルドさんとの出会いもありました
佐藤:瀧井レオナルドとは、スコラのグレゴリオ聖歌の授業で出会いました。初めは日系ブラジル人と知らず、アジア人の風貌で何ヶ国語も話しているあの謎のリュート奏者は一体何者なんだ?と思っていました(笑)。
2)リュートに出会ってすぐに恋に落ちました(瀧井レオナルド)
|人生を変えたホプキンソン・スミスのリュート
-----瀧井さんは、故郷ブラジルのサンパウロの音楽大学ではギター専攻だったそうですが、古楽のジャンルに興味をもったのは、どういうきっかけがあったのですか
瀧井:一言でいうと、友人に誘われたことがきっかけです。大学でクラシックギターを勉強していた時、リコーダー奏者の友人にギターで通奏低音を弾くよう頼まれることが多々ありました。
初めは通奏低音のことは何も知らなかったので、ギター用にリアリゼーションされたものを弾いていたのですが、ある日この友人が興奮した様子でやってきて、「音楽院(コンセルヴァトリウム)に古楽科が新設されるから、そこでリュートを学んで一緒に演奏しよう」と誘ったのです。
それが始まりで、大学でギターを学びながら同時に(サンパウロの)コンセルヴァトリウムのリュート科で学ぶようになりました。
-----リュートを始めてみて、その感触は?
瀧井:リュートに出会ってすぐに恋に落ちました(笑)
リュートの音色、レパートリー、そして何より弦を弾く時のタッチ。
爪を使ってギターの弦をはじく感覚とは大きく異なり、指の腹で弦をとらえてはじくリュート。指の腹が弦に直接さわる感覚の虜になりました。
-----コンセルヴァトリウムでは、ルネサンスリュートから始めたのですか
瀧井:ギター奏者として大学でもルネサンス、バロック時代の作品も勉強していましたが、バッハを演奏する時とダウランドを演奏する時で異なる種類のリュートを使うということは、リュートを学び始めたときに知りました。
当時のリュート科の恩師の助言でルネサンスリュートから始めることになりましたが、当初はバロックギターを弾きたいと思っていましたし、同級生たちとバロック期のレパートリーを弾きたいと思っていたんです。そのためルネサンスリュートから始めることに少し寂しい思いをしたところもありましたが、ダウランドをはじめとするルネサンス期の美しい作品の数々に魅了されていきました。
今思うと、ルネサンスリュートから学び始めたことで得られた基礎的な理解やテクニックは大きな財産となり、恩師にとても感謝しています。後にテオルボやバロックリュートなど他のリュート属楽器を演奏するのにとても役立ったと感じています。
(写真5)留学前、フランスでウジェーヌ・フェレの個人レッスンを受ける
-----その頃大好きだった演奏家はいますか
瀧井:初めて自分で注文したリュートを受け取りに行った時、リュート製作家のアトリエでホプキンソン・スミス氏(以下愛称の“ホピー”)の演奏するCDがかかっていました。流れていたのはゴーティエ作曲の〈La Cascade〉。
あの日のことはまだよく覚えています。あまりに美しい演奏にひどく心を動かされました。優美なフランスバロックの響き、ホピーの解釈と演奏は桁違いに洗練されたものでした。これが“ホピー”との衝撃的な出会いでした。
そのリュート製作家は「ホプキンソン・スミスのこの曲、この演奏が僕の人生を変えたんだ」と言っていましたが、この演奏は私の人生をも変えたのです。ちなみにこの曲のタイトル〈La Cascade〉は、「滝」という意味です。なんだか親近感が湧きます(笑)
|とにかく練習して練習して練習して
-----スイスに留学しようと思い立ったのはいつ頃、どういう経緯でしたか
瀧井:クラシックギターで音大を卒業するにあたって自分の将来について考えていた折、コンセルヴァトリウムのリュート科の先生に、バーゼルのスコラ(カントルム)に留学してホピーに学ぶことを勧められました。自分ではそんなこと想像もしていませんでしたし、自分が留学できるレベルだとも思っていませんでした。経済的な準備もする必要がありましたが、(コンセルヴァトリウムの)恩師はその一切を問題視せず、「一緒に頑張ろう」と言ってくれたのです。過去を振り返ると、恩師をはじめたくさんの方々にお世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。
-----留学して、音楽への向き合い方、アプローチで変わったことはありますか
瀧井:留学をして一番良かったことは、「音楽の学生」から「音楽家」へと成長することができたことです。
音楽を頭で理解することと心で理解することは違います。
ブラジルでも色々なことを学びましたが、スコラでのホピーとの勉強や、自分の音楽家としての仕事(演奏やレッスン)など、留学中のさまざまな経験によって、この二つが自分の中でひとつにつながり、演奏にアウトプットしていけるようになりました。この感覚は留学で得たものだと思います。
(写真6)留学1年目。スコラ・カントルムの中庭で
-----ホピーさんのレッスンはどんな感じでしたか
瀧井:とても優しく学生を尊重してくれますが、教師としてはすごく厳しい方です。目標を達成するためには、病的とも言えるほどの態度で指導されることもあります。時にはたった4小節を演奏するのに3週ものレッスンを費やし、その先を弾かせてもらえないこともありました。
とても感謝していますが、あまりの厳しさに時に困難を覚えることもありました。しかし音楽を掘り下げ、自らの解釈と演奏を見つけるためには他に道はなく、とにかく練習して練習して練習しないといけないということが今はよくわかります。
今もあるかどうかわかりませんが、在学中のリュート科の部屋に、ある引用文が額に入れられ壁にかかっていました。時々レッスンの際に、「読んでごらん」と言われたものです。ホピーのレッスンは、まさにこれでした。
『自らの能力に見合う課題(曲)を1つ選びなさい。他の曲に目移りしたりそれたりせず、完璧にできるようになるまでその課題に取り組みなさい。曲を見てすぐに通して弾くのではなく、各声部を入念に吟味して、どんな点もある程度習得できるまで(たとえ幾千回も繰り返し弾くことになっても)そこに留まりなさい。己をその中に見出すまで、このようにして課題の全てに取り組むべし。』
(『Varietie of Lute Lessons』よりジャン=バティスト・ブザールの言葉)
(写真7)修士リサイタルの日。ホピーと(2016)
3)デュオの誕生は実は全然ドラマティックじゃなかった
|1+1=1という感覚
-----スコラ・カントールム在学中にデュオ・ヴォクス・ポエティカを結成。リュート(テオルボ)と歌という組合せに、これまでにないような可能性や面白さ、手応えを感じて始まったのでしょうか
佐藤:実を言うと、結成当初はここまで本格的に活動を続けることになるとは思っていませんでした。レオのスコラの学内試験のためにデュオでの演奏を頼まれて始まりました。それじゃあせっかくだからという感じで、他のコンサートやお仕事でも共演することになり、自然と生まれたデュオだったんです。
瀧井:そうなんです。このリサイタルの後に、一緒に取り組めるレパートリーがたくさんあり、デュオとして続けていけることに気づいたのですが、当初は集中して活動する大志を抱いていたわけではなく、深い存在意味もありませんでした。
(写真8)結成2年目のヴォクス・ポエティカ(2015)
-----意外ですね。偶然の始まり! しかしそれから7年。どのように変わってきましたか
佐藤:デュオとしての意識が本格的に高まっていったのは、個人的には結成2年目くらいでしょうか。当時私は他にもヨーロッパのいくつかのアンサンブルに所属していたので、「ヴォクス・ポエティカ一筋!」といった気合はさほどなく。それが逆に長く続く秘訣だったのかもしれません。
気づけば結成してもう7年になります。今はすっかり私自身のライフワークになって、自分の表現をとことん突き詰められる場所になりました。
「どんな感触か」と言われたら、「体の一部」ですね。1+1=1。
瀧井:私は元々歌とリュートのレパートリーにそこまで詳しかったわけではなく、このデュオがライフワークになるとは思っていませんでした。しかし演奏やリサーチを重ね、知れば知るほどこのデュオのレパートリーが好きになっていきます。
結成からもうすぐ7年を控え、私たち自身、人として、音楽家として変化したことも多々ありますが、リハーサル中のお互いの意思確認や準備のプロセスは、結成当初も今も変わりません。
|プログラムは二人で納得がいくまでとことん考える
-----プログラムは2人で相談して決めるのですか?
佐藤:プログラムの作り方はそのときによって違いますが、こんなことしたいね、というアイディアはお互いに色々あるので、演奏するシチュエーションに合わせてピッタリ合うアイディアを出し合っています。
瀧井:いつもアイディアについて考えていて、何か浮かんだらメモに書き留めています。
リュートにも様々な種類があって、演奏する楽器によってレパートリーが異なるので、どの楽器とどんな曲を演奏するか、夜寝る前にアイディアが浮かんでしまうとなかなか布団に入れません(笑)。
これからやりたいプロジェクトはたくさんあります。皆様にお聴きいただける日を楽しみに!
(写真9)スコラの近くの教会にて(2015)
-----いつもプログラムのリサーチが徹底していますね
佐藤:こんなプログラムにしようというコンセプトが決まったら、関連する作曲家のことや時代背景、一次資料など色々なリサーチすることが多いです。情報を二人で共有して、候補曲の中から「これは」というものを探します。山の中で宝探しをしているような気分です。
「なんとなく」という曲は、絶対に入れません。コンセプトにマッチしてビビッと来るものを納得がいくまで二人で探すので、結構時間がかかります。
-----瀧井さんはリサーチが得意とききました
佐藤:回によりますが、リサーチ系はレオが担当することが多いです。2019年のコンサート『テオルボとの対話』はリュート奏者としてレオのリサーチがベースとなっています。
先日演奏したコンサート『リュートで聴くシェイクスピア』では二人でリサーチをしつつ、シェイクスピアの劇の内容に基づいた構成は私が担当しました。
-----コンサートではいつも構成の仕方、流れがすばらしくて引き込まれます
佐藤:コンサートで演奏するときは、曲順や曲のつなげ方にもかなりこだわっています。開演から終演まで全てが自分たちの作品だと思っているので、曲間の静寂やタイミング、作品の中に入り込むオンオフのスイッチなど、心地よく納得できるバランスをいつも探しています。
例えばチョコレートを食べた直後に飲むコーヒーってすごく美味しいんですけど、納豆食べた直後のコーヒーだと、コーヒーの良さがあまり感じられないんです。曲順や曲間もそんな感じで。次に何がどのタイミングでくるのかも全て芸術の一部で、しっくり来ないときはとことん考えます。
-----そう言われるとすごくよくわかります。例えば佐藤さんの嘆きの歌が終わったあと、その歌手の気持ちを鎮めるようにリュートのアルペジオがそっと入ってくるときなど、ほんとにぐっときます。そんなところが随所にありました
佐藤:実は今回のCD「テオルボと描く肖像」では、サウンドエンジニアの方にトラック内での演奏の前後に何秒余白を入れるかまでご相談させていただきました。CDを通して聞かないとあまり意味をなさないポイントではあるのですが、わがままをご快諾くださった(エンジニアの)峰尾さんには本当に感謝しています。
-----CDの曲間タイムにまでこだわっていたんですね!
(4)「テオルボと描く肖像」CDとコンサート、そしてこれから
|今の私たちの写真を撮るイメージ
-----CDタイトル「テオルボと描く肖像」a portrait with the theorboへの特別な思いはありますか
瀧井:このCDを録音したのは、ヴォクス・ポエティカ5年目の2019年でした。私たちのデュオにとってテオルボは1番の相棒だったので、1枚目のCDはテオルボと録りたいと決めていたんです。
コンセプトとして「“今”の私たちの写真を撮る」イメージを掲げました。「portrait 肖像」というタイトルは、そこから自然に生まれたものです。
(写真10)CD「テオルボと描く肖像」
-----5月28日のコンサートは、このCDの収録曲をメインに演奏されますが、ビデオメッセージによると、録音した1年半前とはずいぶん違った演奏になりそうな予感、とのことでした。CDを聴いてくださった方も、初めて聴いてくださる方も、どうぞお楽しみに!
|デュオのコミュニケーションの取り方
-----また、デュオのお話にもどりますが、日本に拠点を移して4年。この1年はコロナのことでヨーロッパへのコンサート旅行なども自由にできない年でした。また自由に動けるようになったら、行きたいところ、住んでみたいところはありますか?
佐藤:一度ブラジルに住んでみたいです。今のところその予定はありませんが、もしそんな波が訪れたら乗っかるかもしれません(笑)
スイスに拠点を置いていたときにも、《ヴォクス・ポエティカ》のブラジル公演を行ったことがあります。サンパウロはレオのような日系人が多いので、私が街を歩いていてもブラジル人に見えるようなところです。人の温かさが印象的でした。日本食のお店も多く、お米と納豆命の私も、問題なさそうです!
-----瀧井レオナルドさんがブラジル出身、佐藤さんは日本、留学されたバーゼルはドイツ語とフランス語とイタリア語と英語を話す街。デュオのコミュニケーションは普段は何語で?
佐藤:二人での会話の第一言語はポルトガル語なのですが、英語や日本語が混ざることもあります。レオは日系人なので小さい頃から日本語を話していたのかよく聞かれますが、日本へ移住して最初の1年間、日本語学校へ通って習得しました。私も負けじと、ポルトガル語を!
ポルトガル語で歌うヴィウエラのレパートリーを以前に《ヴォクス・ポエティカ》でも少し演奏したことがあって、ポルトガルやブラジルの古楽作品にももっと取り組んでみたいと思っています。
-----言葉との出会いでレパートリーも深まりますね
佐藤:海外に住んで外国語を話して歌って・・という生活の中で、母国語の美しさと深さに改めて気づくことができました。母国語を読んだり聞いたりしたときに、どれだけ深く自分の心に染み込むか。語感の持つニュアンスやイメージを心で感じ取ることができる。歌はそんな言葉を扱う芸術なのです。
誰かとコミュニケーションを取るときには、相手にとっての外国語で話すのか母国語で話すのかで、伝わり方が変わります。語学の難しいところではありますが、醍醐味でもありますよね。話すにしても歌うにしても、言葉の理解と歩み寄る姿勢は大切だなと常々感じています。
私たちのデュオも以前は英語のみで会話をしていましたが、ポルトガル語と日本語で会話する機会が増えてから、大きな壁が一つ取り去られたように思います。
《ヴォクス・ポエティカ》
佐藤裕希恵と瀧井レオナルドによる歌と撥弦楽器のデュオ。
「VOX POETICAー詩的な声」。2人の奏でる音は、まるで一本の糸によられるかのごとく融合する。2人は共にスイス、バーゼルの古楽専門音楽大学スコラ・カントルムで学び、2014年にデュオを結成。これまでヨーロッパを中心にブラジル、日本でも公演を行い、聴衆を魅了。2017年秋、デュオとしての拠点を日本へ移し、2018年東京・大阪でのフェルメール展の公式タイアップCD「フェルメール〜絵の中の音楽」(キングレコード)に参加。2019年よりコンサートシリーズ「La Conversationー対話」や古楽ワークショップを展開。独自の世界観を追求する。精度の高い演奏が高く評価され、2020年にリリースした初のソロCD「テオルボと描く肖像」(ウニオ)はレコード芸術特選盤に選出される。